ベンチャー企業 10年前の社員のほとんどがいない、20代の若者しかおらず、30代以上の社員がいない、絶滅している理由とは?【なんJ】
なんJでもたびたび語られるが、ベンチャー企業を外から眺めた時にまず目に入るのは、やたらと若い空気である。オフィスにいるのは20代ばかりで、30代以上が見当たらない。しかも、10年前からいる古参社員がほとんど存在しない。これを見て、表向きには「若くて勢いがある会社ですね」で済ませる者もいるが、現実はそんなに綺麗ではない。弱い立場の人間が見落としがちな真実を言えば、それは若さが尊いから残っているのではなく、若さしか残れない構造になっているからである。なんJ的に言えば、「若い会社」なのではない。「年を重ねる前に消耗し切る会社」が多いのである。ここを見誤ると、ベンチャーの正体を永遠に見抜けない。
まず冷酷な現実から話そう。ベンチャー企業という場所は、制度より気合い、再現性より瞬発力、整備より突撃を重視しやすい。もちろん全ての会社がそうではないが、多くのベンチャーは、創業初期から成長初期にかけて、仕組みの未完成さを「熱量」で埋める。すると何が起こるか。長く働ける職場ではなく、短期間だけ全力で燃やせる職場になる。20代は、体力もあるし、将来への幻想もあるし、失うものがまだ少ない。多少の無理、多少の混乱、多少の理不尽にも耐えやすい。自分を削ってでも「ここで一発当てる」という物語を信じられる年齢だからである。だが30代に入ると話が変わる。生活、家族、健康、将来設計、キャリアの一貫性、こういう現実が容赦なくのしかかる。そこで初めて、ベンチャーの曖昧さが「自由」ではなく「未整備」であり、「裁量」ではなく「責任の押し付け」であり、「挑戦」ではなく「保険のない労働」に見えてくる。なんJでもよくあるが、若い頃は夢に見えたものが、年齢を重ねるとただの危うさに見える。これが、30代以上がいなくなる一丁目一番地の理由である。
さらに言えば、ベンチャー企業には「定着」より「入れ替え」で回る構造が潜んでいることが多い。会社が小さい時期は、採用の精度より、人数を埋める速度が重視される。とにかく人を入れる。人が足りないから、教育が雑でも、役割定義が曖昧でも、採る。そして回しながら考える。だが、こういう会社では人が辞める速度も速い。なぜか。仕事の輪郭があいまいだから、自分の成長なのか、ただの便利屋化なのかが分からなくなるからである。昨日は営業、今日は採用、明日はカスタマーサポート、その次は資料作成、SNS運用、雑務、謝罪、火消し。何でもやること自体が悪いのではない。だが、それがキャリアとして積み上がる形になっていなければ、やっている側には「何者にもなれていない感覚」だけが積もる。20代前半なら、それでも経験と呼べる。だが20代後半、30代が近づくと、その曖昧さは恐怖に変わる。「このままここにいて、自分は市場で通用するのか」という問いに答えが出せなくなる。そこで人は抜ける。ベンチャーの若さとは、希望の証明ではない。定着できなかった人材の堆積が見えないように、常に新しい若手で上書きされているだけのことも多い。
そして、10年前の社員がいない理由は、単純な離職率の高さだけではない。会社そのものが10年前と別物になっているからでもある。ベンチャーは事業が変わる。ピボットする。創業時の理想と、資金調達後の現実がズレる。最初は「世の中を変える」だったのが、途中から「投資家を納得させる数字を作る」に変わる。最初は仲間だったのに、途中から管理対象になる。最初は泥臭く理想を語っていたのに、ある時からKPI、CAC、LTV、資本政策、評価制度、レイヤー構造といった言葉が支配し始める。すると、創業初期の空気に惚れて入った人間ほど、後半で居場所を失う。なぜなら、その人が愛していた会社は、もう消えているからである。会社は生き残っていても、最初に入った社員の心の中では、すでに別の組織になっている。なんJでたまに「古参が全員消えた会社はだいたい察しろ」と言われる空気があるが、あれは半分当たっている。古参が消えるのは、成長の代償である場合もあるが、理念より都合、仲間より資本、納得より速度に寄りすぎた結果でもある。
また、30代以上がいない会社には、暗黙の選別装置が存在することがある。表向きには年齢差別などしないと言う。だが実際には、若い者が好まれる構造が出来上がっている。まず、給与である。ベンチャーは大企業ほど報酬原資に余裕がないことが多い。すると、高い給料を払うより、安くて動ける若手を多く採った方が数字上は回しやすい。さらに、若手は肩書やストックオプションの幻想にも反応しやすい。「今は安いが、将来跳ねるかもしれない」という話を飲み込みやすい。対して30代以上は、口だけの成長物語には慎重になる。生活コストもある。転職市場での比較もしている。福利厚生、退職金、住宅補助、育児との両立、病気への備え、そうした論点を持ち込んでくる。だが、未成熟なベンチャーから見れば、それは時に「重い」と映る。つまり、会社が求めているのは有能な大人ではなく、無理が利く若者になってしまう。なんJでも「若い人が多い職場」は華やかに語られがちだが、その裏には、歳を重ねた人間が合理的判断によって近づかない、もしくは近づいても残らないという事情が隠れている。
ここでさらに本質を突くと、ベンチャー企業が30代以上を失いやすいのは、評価の仕組みが未熟だからでもある。成熟した組織なら、若手の勢いと中堅の安定、ベテランの判断が噛み合う。だが未成熟なベンチャーは、その中間層を評価するのが下手である。若手には「伸びしろ」がある。経営陣には「夢」がある。では中堅には何があるのか。実務、調整、再現性、育成、事故防止、属人化解消、無駄な暴走を止めるブレーキ。これらは組織に不可欠だが、派手ではない。数字として見えにくい。創業者気質の強い組織ほど、この価値を軽く見がちである。「そんなの当たり前」「守りに入っている」「もっとオーナーシップを」などと言われ、火消しと尻拭いをしている側の疲弊だけが積み上がる。すると、30代の社員ほど先に気づくのである。この会社は、口では成長を叫ぶが、実際には組織を支える層を大切にしていない、と。その瞬間に、中堅は静かに去る。若者だけが残る。いや、正確には、残される。
もう一つ恐ろしい理由がある。それは、ベンチャーがしばしば「未来の成功者」を集める場ではなく、「今の不安定さを受け入れられる者」だけを選別する場になっていることだ。若い頃は、自分が特別だと思いたい。早く出世したい。大企業の歯車になりたくない。裁量を持ちたい。会社の初期メンバーになりたい。その願望自体は自然である。だが、ベンチャーはその願望に対して、とても甘い言葉を差し出す。「年齢関係なく抜擢」「20代で部長」「最速で事業責任者」「将来の幹部候補」。なんJでもこういう文句には妙にざわつく。だが現実には、その椅子の数は少ない。しかも、ポストが増えても権限だけ増えて報酬は追いつかないこともある。若手はタイトルに酔えるが、30代になるとタイトルでは住宅ローンも教育費も払えないと悟る。ここで夢が剥がれる。すると会社に残るインセンティブが薄れる。だから、20代だらけの会社は、若者が優秀だからそうなっているとは限らない。若者しか夢を買ってくれなくなった結果かもしれないのである。
また、10年前の社員がいない会社は、しばしば「人が育って独立した」と美談化される。たしかに一部はそうだろう。しかし、それだけで説明できるほど世の中は美しくない。本当のところは、燃え尽きた、見切った、ついていけなくなった、待遇に耐えられなかった、方針転換で弾かれた、人間関係で壊れた、そういう地味で重い理由の積み重ねである。なんJでは軽口で「古参がいないの草」と済まされるかもしれないが、その背後には、組織が人を使い切る速度の問題がある。人を大切にする会社は、時間が経つほど年齢の層が厚くなる。20代、30代、40代が自然に混ざる。逆にそれがない会社は、血が巡っているのではない。出血し続けているのである。新しい血を入れ続けないと倒れるだけだ。
さらにベンチャーには、創業者の人格が組織全体を支配しやすいという特徴がある。大企業なら、創業者がどれだけ強くても制度がある程度ブレーキになる。だが小さな会社では、創業者の機嫌、信念、執着、気分、好き嫌いが、そのまま文化になることが珍しくない。若い社員はこれを「カリスマ」として受け止めやすい。だが30代以上は見抜いてしまう。カリスマに見えるものの一部は、単に未熟な独断であると。情熱に見えるものの一部は、他人の人生への想像力の欠如であると。すると、尊敬が冷める。冷めた瞬間、その会社に残る意味も薄れる。若手が多い会社の中には、本当に魅力ある若い集団もあるが、別の角度から見れば、「大人が長く付き合えない経営」を若者の勢いで覆い隠しているだけの会社もある。ここを読めるかどうかで、人生の損失は大きく変わる。
そして決定的なのは、ベンチャー企業における「過去」は、しばしば価値を持ちにくいという点である。10年前に苦労した社員がいたとしても、その苦労が正当に報われるとは限らない。株式の配分、昇進、待遇、評価、役割、どれをとっても、後から入ってきた即戦力や、外部から来た役員候補の方が得をすることすらある。すると古参は何を思うか。「自分は何のために初期の泥を被ったのか」と思う。そこに答えが出なければ、忠誠心は消える。ベンチャーは仲間の物語を語るが、成長局面に入ると平気で外部のプロ経営人材を入れ、古参を脇へ追いやる。これは経営上やむを得ない場合もある。だが、現場から見れば、自分の青春が交換可能部品だったと知る瞬間である。そうして10年前の社員は、静かに歴史から消える。会社のホームページには新しい笑顔が並び、なんJでは「若くて勢いある企業」と評される。だが、その壁の裏には、報われなかった者たちの沈黙がある。
だからこそ、20代しかいないベンチャーを見て、「若くて活気がある」とだけ受け取るのは浅い。帝王の視点で断言するが、組織の健全性は若さではなく、年齢の層の厚みで見るべきである。20代がいるのは当たり前だ。問題は、30代が残れるか、40代が機能できるか、古参が誇りを持てるかである。そこが空洞なら、その会社は成長企業ではなく、使い捨ての高速回転装置に近い。なんJでありがちな「若い会社すげえ」みたいな表層評価は、現実を知らぬ者の拍手に過ぎない。本当に見るべきなのは、その若さが希望の結果なのか、消耗の結果なのかである。
最後に言っておく。ベンチャー企業で10年前の社員がほとんどいない、20代ばかりで30代以上が絶滅している理由は、一つではない。若さを美徳化する採用、夢先行の報酬設計、未整備な制度、燃え尽きやすい働き方、創業者依存の文化、古参軽視、将来不安、役割の曖昧さ、生活との不一致、その全てが絡み合っている。だが本質を一文で刺すなら、「長く働く価値が見えない職場では、年齢は積み上がらない」ということである。若者しかいない会社は、若者に人気なのではない。長く残るだけの理由を会社が作れていないのである。なんJ的な雑な言い方を借りれば、「若さの楽園」ではなく、「定着の墓場」で終わっている会社が少なくない。そこを見抜ける者だけが、会社の宣伝文句ではなく、組織の寿命を読むことができる。若さが溢れているから未来があるのではない。年齢を重ねても残りたいと思える会社にこそ、本当の未来があるのである。